考えたこと

日本の【甘え文化】

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こんにちは!マーモットです。

 

突然ですが、「甘え」という言葉、よくネガティブな意味合いで使われますよね。

 

特にフランスでは、子育てをしていて甘えはすごく糾弾されている気がするのですが、個人的には「甘え」は良いとか悪いとかそんな類のものではないし、フランスで言われている甘えと日本の甘えは根本的にものが違うと感じています。

 

甘えが徹底的に批判されるフランスの子育て事情についてはこちらから

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そこで今回は、「甘え」について考えを整理していきたいと思います。

「甘え」の定義

「甘え」の言葉の定義を調べると、

人の好意をあてにする気持ち。「考え方に―が残る」


デジタル大辞泉

 

「甘える」 の言葉の定義を調べると、

①相手の理解や好意を期待して、べったりと頼りきった振舞いをする。「子どもが母親に ― 」「わがままを言って ― 」...(以下略) ②相手の行為ある申し出にすっかり寄りかかる。「お言葉に ―えて 拝借いたします」...(以下略)


明鏡国語辞典

 

この二つの辞典の定義を総合すると、「甘え」は、人の好意を期待してあてにするということで、子供が親に対しての文脈と広く一般の文脈と2つの文脈で起こるものと言えます。

日本人の甘えって?

例えば

私の夫は、「日本人は甘えている!だから子供に構ってばかりで甘えるような人間にさせたらだめだ」といいますが、

子供の時に甘えさせられる→日本人の甘えという原因と結果の構図は単純過ぎる気がします。

 

というのは、日本人の“甘え”は日本の社会特有のものだからです。他の言語では日本の甘えを表す言葉はありません。

 

じゃあ、日本人の甘えって何か?

 

例えば、欧米では仕事でミスしたらクビにされやすいのに対し、日本では会社“内”でミスしても謝れば許されます。

また、外では気を使うのに家庭“内”では遠慮なしに傲慢に振舞うのにも、家庭“内”の人に対する甘えがみえます。ここでは“内”の人の好意をあてにしています。

 

《建前と本音》に関しても、例えば他人の家で「何か飲みますか?」と聞かれたとき、いらないわけではなくても「いいえ、結構です。」と答えたり、逆にいらないものを提案されても断れなかったりしますが、これは、遠慮する態度を示すことで相手に自分の事を良く思ってほしい、悪く思われたくないという期待する一種の“甘え”の例です。

同じように、お礼を言うときに「ありがとうございます。」の代わりに「どうもすみません。」と言ったりするのも、遠慮することで相手に悪く思われないようにするという気持ちの表れですが、他の国では感謝を示すにはそのまま「ありがとう」に該当する言葉を使いますよね。

 

このような“甘え”は、欧米の横社会に対する日本の縦社会という社会構造、それによる日本特有の“内と外”の概念などから説明ができます。

縦社会・内と外

縦社会の中では、集団の中で上下関係ができていて集団としての結びつきが強いです。日本型の会社や学校の部活のように。

例えば、電車では知り合いががいたらすごく気を付けるのに、いなければ我が物顔で何も気を付けずに電車に乗っている人がいます。ここからは“内と外”の概念が見えてきます。

 

内と外の関係を図で表してみました。中心が遠慮がない家族やそれに相当する関係、その外が知り合いなどの遠慮のある関係、さらにその外が知らない他人で遠慮がない関係です。

 

儒教の影響

そもそも日本が縦社会なのは、孔子による儒教の影響があります。

儒教というのは、今の中国にあたる場所が動乱だった時代に、孔子が平和な世の中を実現するために秩序を構築しようと広めた考えです。

 

簡単に言うと、「それぞれがそれぞれのあるべき場所にとどまり、自分に与えられた役割を果たさなければならないという教えです。

この教えが私たちの社会を作ったので、いつも場の空気を読んで言動しないといけないわけです。

 

このようにして、行動の動機が、欧米では「自分がしたいからこれをする」、日本では「周囲にこれをするはずと期待されているからする」となるのです。

 

フランスは言わずと知れたデモやストライキが多い国ですが、日本はその反対にめったにありません。不満でも“しょうがない”って我慢しておきます。それぞれがそれぞれのあるべき場所にとどまり、自分に与えられた役割を果たさなければならないから、いつも“しょうがない”って我慢しておくのですね。

 

だから、この日本人の性質はもとからあったものではないんです。例えば、下剋上という動乱の世の後に安定して長く続いた徳川政権でも、政権が脅かされないようにこの思想が利用され広められたので。

善と悪・合理的思考

フランスにいて良く思うのは、これは悪いから排除する、これを解決するためにこれをする、という風に、良いと悪いを分かりやすく単純に扱っているなということです。

勧善懲悪ですね。

 

合理的に物事を処理しているから、「フランス」といえば「合理的」とイメージしやすくなっているのかなと思います。

無理やり感がありますが、ベーコンらの経験論(帰納法)に対する、フランスのデカルトが代表する合理論(演繹法)とも繋がるものが見えます。

合理論は、まず前提を立て、それを論理的に考えて解決する方法ですが、さっきの話で言うと、まずこれは悪、これは善と決めて、その枠組みの中で論理的にアプローチするのは合理論のアプローチと同じようです。

 

一方、日本では悪は悪ではなく善も善ではありません。文脈によって変わるからです。善にも悪にもいるべき位置があって、それぞれの役割を果たすという考えです。

まとめると

話を戻し整理してみると、

日本人の甘えは、儒教の影響を受けた縦社会の構造により“内と外”の概念ができることによって見られるもの。

そしてそれは、欧米で良く見られる勧善懲悪のような合理的思考に反するもので、微妙なバランスを保ちながら日本の社会を安定させているもの。

 

よく日本の学校教育で「個性を大事にしましょう」、と口先だけで言われていますが、社会が今の秩序で安定していてその安定の中で人々が生きたい限り、それは無駄なことに思えます。

 

 

ここでは甘えと日本社会について個人的な意見を言っただけなので、興味がある方は、中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』と、土井健郎氏の著書『甘えの構造』を見てみてください! 今回のテーマについて詳しく説明してくれてあります。

中根千枝さんは、社会人類学者で、東大初の女性教授です。土井健郎さんは、精神科医で精神分析家です。

この二つの本は、偉い先生方のずっと読み継がれている名著です。

余談・甘え産業とは

フランスの大学で日本の研究をしている教授の授業を取っていて、そこで聞いたことなのですが、日本特有のキャバクラやスナックは、男の人が家の外にお姉さんや“ママ”という甘える対象を求めるもので、日本の“甘え”があるからこそ成り立つものということでした。

L'industrie d'amaé(甘え産業)と表現していました。

ちなみに、この教授はグランゼコール出身の超秀才エリートで、数々の著書がありますが、下の本は日本の歴史・政治・国際関係から国民性まで賢くまとめられていて外からの目線で知ることができ、とても勉強になります。

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