考えたこと

「暇、お金がない、親が何もしない」が子供の自立心・意欲を育てる⁉

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こんにちは!マーモットです。

 

私は、難関国立大から海外留学をし、意欲が高く見られるような人でした。(本当かどうかは別として...)

エリートコースを歩んで来たんだろうとか真面目にコツコツ勉強して生きてきたんだろうとか想像されやすく実際に言われますが、

 

 実際はそんなものとはかけ離れたいい加減なところにいました...

育った家庭環境もかけ離れていたし、学校でも皆に諦められるほど落ちこぼれていた経験も。

 

今回は、一見しっかりしたエリートに見られることが多かった私をつくった、そんな決して褒められることではないかけ離れた教育(結論を先に言ってしまうと、教育ではなくただのテキトウです…)について紹介し、思うことを書いていこうと思います。

 

いち子供と奮闘している親として、子育てに疲れてきたな~と感じている方に肩の力を抜いてもらえれば嬉しいです。(自分も2児の親なので、思い出しては参考にしています)

また、教育に関心のある方も一例として気楽に読んでみてください。

「暇、お金がない、親が何もできない」教育

海外の憧れを持つようになったきっかけ

小さい頃から母が忙しくお金もなかったので旅行にもあまり行けず、いつも家で留守番か祖母の家で母の帰りを待つの繰り返しで、三重からもあまり出たこともありませんでした。

なので外に出たい!という願望が幼少の頃からとても強かったです。

一番近い韓国でもいいから外国に行ってみたい!飛行機に乗ってみたい!とずっと願っていました。

 

これが私が海外に憧れを持つようになったきっかけです。

暇すぎて読むように

休みの日は、親が昼前まで寝だめをするので一人で起きてもつまらず、布団やソファでひたすら本を読んで親が起きてくるのを待っていました。

このようにして、8歳になる頃には親が起きるまでにハリーポッターを1冊読み終えるように。

 

放課後もすることがなく暇なので、10歳の頃には新聞を1日1時間読むようになりました。

学校で漢字を何度も書く宿題を出されましたが、それがなくても新聞のおかげで漢字テストもほぼ満点でした。逆に、何度も書くという労力のいる宿題がすごく嫌いでちゃんとしなかったり…

しかし、勉強の役に立つような暇つぶしをしていたわけではなく…新聞広告もじっくり見ていたので、それぞれのスーパーの色々な商品の値段を自然に覚え、「この商品はこのスーパーの方が2円安い」、「この広告の品は実は他の~スーパーに比べたら高い」、というような意味のないことが大半でした。

 

わざわざ宿題をしなくても、家が適当だからこそ身につくこともあるのです。(無駄なこともたくさん身に着けますが、それが大事。)

ゲームが欲しかったけど買ってもらえなかった

小学生の頃、周りの子達がゲームのDSを持っていて私もすごく欲しかったのですが、当時話題になっていた本の影響で、「ゲーム脳になる」と言われて両親に許可をもらえず...

仮に許可をもらえたとしても、ゲーム機とソフトの値段を考えるとお金がないなと思い、諦めざるを得ませんでした。

そんなこんなで、「ゲームをしすぎる」と言うための土俵にも立てませんでした

10歳で家事は必要だった

親が家の掃除などが全然できない人で、さらに仕事で忙しくてできなかったので、私が毎週末に家中の掃除をしていました。家事も、忙しい母を助けるためにしていました。

そうやって、10歳の時には見よう見まねで一通り家事はできるようになっていました。

「どうしたら子供が手伝ってくれるの?」と悩む親も多いかもしれませんが、親が本当にしなかったら自分がするしかないので、子供もするようになります。学校に来ていく服がなかったら自分で洗うしかないですからね。

 

「子供がちゃんとしてくれない」と悩む方は、逆にそんなに子供のお世話をしてあげている、という証拠なんです。

成績に関心のない親

中学校に上がっても相変わらず母は忙しく、いつテストがあるかもあまり把握しておらず、テスト結果もほぼいつも自分から言わないと永遠に見ずに終わる勢い...

特に私の出身中学校は、テストの度に順位とそれぞれの科目の点数が載った表が渡されるので、普通は親にそれを見せるのですが、私の家は私が気が向いたら見せる、という感じでした。

ぐちぐち言われなかったので勉強も特にストレスにはならず、学年1位をキープしていました。

ぐちぐち「勉強どう?」「成績は?」とか言われたらめんどくさくなってきますよね(笑)

 

塾にも行くお金がなかったので、塾に関しては受験の年の夏期講習(破格の値段で受けれるチャンス!)と1学期分を勧誘に負けて(破格の値段で受けると断れないレベルのプレッシャーで勧誘されます…)少し通ったくらいでした。だからまず、大半が塾に通っている周りと同じ土俵にすら立っていませんでした。

 

高校受験のときは、志望高を母に相談しようとしても母は何の意見も言わなかったので、自分の考えだけで決めました。

さらに、私立高校を2つ以上受けるのが一般的なところ、受験代を節約するため1つに。どちらにしろ、公立高校に落ちたら私立に行くお金がなく中卒にならなければいけなかったので、公立校に受かるしか選択肢がなかったんですけどね...

皆が万事に備える受験でさえ、ケチりまくっていました。インフルエンザの予防接種はもちろん受けません。針一本3000円以上は高すぎたので、今まで一度も受けたことがありません。

親がある程度無関心でいてくれたので、変なプレッシャーもなく、親の緊張や期待によるストレスも全く感じず、快適にできました。

 

親が本当に何も言わないから自分だけの考えで決定する

高校は県随一の進学校だったのですが、むやみやたらに課題を出して非効率&文武両道を謳う、「the 優等生」な校風のところでした。

それが、いい家の人が集まったこの高校でしか通用しない偽善の世界に見えて、自分に合わず、家での大変な出来事も重なって学校に行かなくなりました。

 

しかし、図書館は新刊がどんどん入る贅沢使用だったので、もっぱら図書館で本を借りるために高校に行き、勉強の代わりに本をたくさん読みました。

 

当然大学受験は不可能な状況で、将来どうしよう、専門学校に行こうか短大かなど親に相談してみようとしても、親は「自分は何も知らないから好きなようにして」としか言わず、結局相談にもなりませんでした。

 

そんなこんなで結局自分だけの考えで決め、その選択に責任を持ち、効率的な受験勉強を2,3か月ほど行い、難関と言われる国立の志望大学に入ることができました。

こちらの記事では、どうやって2、3か月の超短期間で受験勉強をしたかを書いています。

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親があれこれ言ってしまうと、子供が自分で決めて力強く進んで行くのを邪魔しがちです。

子どもの教育(学習)に必要なもの

 

このようにみると、極度の暇お金のなさ親が何もしなかったことが私を教育したとも言えます。

暇だから自分で何かしだし、親に何も言われないから自分で考えるしかないのです

好奇心を広げる余裕、環境

子どもがゲームばっかりで勉強しないという状況は、ゲームがあるからしょうがないと思います。

子供時代は時間があり好奇心旺盛なので、あるものだけで熱中します。自分の小さい頃の新聞や本のように。

しかしそこにゲームが現れると、刺激が強くそこに飛びついて熱中してしまい、色々なことをしながら頭を使って学んでいくことができなくなっていくのです。

 

最近は習い事がいっぱいあって忙しい子供も多いですが、そうすると自動的にするべきことが用意されるので、好奇心を持ち自分から熱中し、頭を使って何かをしていくという経験がしにくいです。大事な時期にそんな経験をさせられないのは残念なこと。

満たされないものがあること

最近の若者は、海外志向が弱まっていて今の状況で安定したい傾向があるとよく言われますが、一つはそれである程度満たされ楽しく生きているからじゃないでしょうか。

私の場合はいつも家でつまらなさ過ぎたので、できるだけ遠くに行きたいと必死の願望でした。ハングリー精神です。

子供がするまで待つこと

また、他人に何かしなさいと言われるとしたくなくなるものですが、何も言われないと自分の責任で行動するようになるもの

勉強もしなさいと言わなくても必要になれば自分でするものです。掃除もしなさいと言わなくても、汚すぎて不快と思えば自分でします。

子供は十分賢いと知ること

大人が上から言わなくても、本来子供は賢く自分で考え行動することができます(本当に小さいうちの分別がついていないときは、だめなことはだめと教えることが必要ですが。)

親が子にむやみに注意したりしかったり命令したりする光景を街中で見たり、学校で先生が子供を上から叱ったりするのを見ると子供がかわいそうに思えてしまいます。

モンテッソーリ教育

モンテッソーリ教育という教育方法がちまたで評価されていて、幼稚園などの教育機関でも取り入れられつつあります。

ここで私が育った環境は、その教育法と重なるところがあるな~、とふと思いました。

この教育法を説明すると、

(前略)「子どもには、自分を育てる力が備わっている」という「自己教育力」の存在がモンテッソーリ教育の前提となっています。歩くことを教えなくても、歩こうとしたり、積極的に環境に関わりながら様々な事柄を吸収していったりする姿は、子ども自身が自立に向かって、成長・発達していこうとする姿のあらわれといえます。この内在する力が存分に発揮できる環境と、自由が保障された中で、子どもは自発的に活動を繰り返しながら成長していきます。(中略)

モンテッソーリ教育の目的は、「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てる」ことです。(以下略)       


    出典元「日本モンテッソーリ教育綜合研究所」― モンテッソーリ教育とは

要約すると、子供は自分で成長する力があることを前提として、自己成長能力が発揮でき自由が保障された環境を子供に提供することで、自立して有能で生涯学び続けられる人間に育てる教育法ということになります。

 

発達段階によってすることは変わり、具体的には、感覚が鋭い幼少期に洗濯や包丁使いなどの日常の動作の訓練をしたり、児童期には与えられたカリキュラムではなく自分で決めたことを行うことで積極性を養ったりします。

またあるものにこだわり熱中することで集中力や様々な感覚を身に着けていきます。ここで大人はやり方を教えないし、“正解”を教えません

 

モンテッソーリ教育についての本はたくさん出されています。私もフランスで買いました。

子供は本来賢くて、逆に親が教えられるというのが分かる本です。

親が気を張って「ああしなくちゃ、これはだめだ」と思わなくても、子供は自分で発見して成長して行けますからね。

あくまで私にはそんなに考えられた教育法は施されてきませんでしたが、ゲームの代わりに、家にある本や親が連れて行ってくれた図書館の本をたくさん読んだり、家にあるもので没頭して暇をつぶしていました。

また親が手取り足取り世話を焼かないので、自分で親のしていることを観察し、日常の家事も自然にするようになっていました

そしてそういう経験は、自分で考えて意欲的に前に進む今の私を作った一つの要因になったと思えます。

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